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王将 (曲)[おうしょう]
「王将」(おうしょう)は、1961年11月にリリースされた村田英雄によるシングル曲である。村田英雄最大のヒット曲であり、当時売り上げが150万枚を超えたなど、爆発的な人気となった。 == 制作 == 作詞は西條八十、作曲は船村徹による。大阪を拠点に活躍した将棋棋士、阪田三吉をモデルとした歌詞である。 元々は1961年9月に発売された歌謡浪曲のLPの挿入歌として発表された曲である。同年11月にシングルカットされ、当時から関西ではヒットしていた〔長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、152頁。ISBN 4390116495〕。 当時、なかなかヒットに恵まれていなかった村田のため、日本コロムビアのディレクターだった斎藤昇が村田と共に作詞家西條八十邸を訪れたことから始まる。当時、西條は美空ひばりの曲を書いていたため、「男の歌は作れない」と断られたのだが、村田が粘り強く西條邸に通い詰めた結果、ようやく詞を書いてもらえることになり、「吹けば飛ぶよな将棋の駒に」という文言が作詞された。始めの文言が完成した20日後には、全ての詞が完成した〔読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、79-80頁。ISBN 4390116010〕。 作曲は同社の専属だった船村徹に依頼された。船村は完成したばかりの詞を持って、故郷栃木県に帰り、思案を重ね、メロディーが完成した。船村は「詞の一部を変えた際、自然にあのメロディーが出てきた」と証言している。王将といえば、あの特徴的な前奏であるが、この前奏は、船村が「王将」レコーディング前に友人と行った宇都宮競輪場で、最後の一周を告げる鐘を聞いた時に閃き、これだなと思った船村は、イントロに『打鐘(ジャン)』の音を付け加えたそうである〔『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』81-82頁。〕〔読売新聞、2012年5月6日付「よみほっと日曜版」1面〕〔レコーディングでは銅鑼を用いたという。 (船村徹さん、宇都宮競輪場を訪問 「王将」秘話披露 - スポーツ報知、2010年8月8日)〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王将 (曲)」の詳細全文を読む
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